Live Report

KUES 7th LIVE ~Happy Go Lucky!~

~ 一人の卒業生の視点から KUES卒業論文 ~


今回のライブが自分にとって最後のライブになる・・・そんな実感がわいてきたのはライブ一週間前、練習も大詰めを迎えてきたころであった。

自分が、現役としてライブに参加するのは、今回が最後になる・・・そう思うと図らずも涙が出そうになった。

現役として残された時間はあと僅か、KUESのみんなとできるだけ多くの時間を共有したい、その思いにかられ、自然とボックス(*部室)へ足が向いた。

ボックスでいろんな人と談笑するうちに私がどれだけこの空間が大好きであるか、そしてKUESが大好きであるかを改めて実感することが出来たと思う。


あっという間に19日夜の準備を迎えた。去年とは違う真新しい教室。

そこに内装係を中心として、用意していた装飾が施されていく。無機質な教室が、徐々に「夢の舞台」へと姿を変えていった。


そして20日の前日リハーサル。これが最終調整と最終練習である。

みんなの曲を聴いていると、また様々な思いがこみ上げてきた。

そして自分の曲の最終調整。自分は「宿命」「summer」2曲ともピアノであったが、その時点でいまだ思うように演奏できない箇所があり、さらに慣れない電子ピアノの音、音量バランスの問題などで、周囲で聴いているメンバーに意見を請い、特に音量や音響の調整には試行錯誤を繰り返した。電子ピアノだけのスピーカーではやはり音量が小さすぎるため、昨年同様エレクトーンのスピーカーと接続し音を出すことになった。

接続コードの長さが足りないので、急遽コードを買いに走る者がいた。彼の活躍により、音量の問題は解決したかに見えた。


しかし夜になり、もっと重大な問題が発生した。

「客席から見て右端のエレクトーンの電源が入らない!」数人がエレクトーンの回りに集まり、緊急協議。色々と検証をした結果、どうやら内部の電気回路が接触不良を起こしている模様と判明。

明日の本番でこれを使用するのは無理、代わりのエレクトーンを用意しなければならないが、今は土曜の21時。楽器店・運送会社に連絡をとり手配するのは不可能、連絡が取れたとしても本番には間に合わない、誰かの家からエレクトーンを借りて明日はそれで代用するのが最善策だ、そういう結論で一致した。NF委員会から軽トラを借りることができ、会長宅にエレクトーンを運び出しに十名余りが駆けつけた。悪戦苦闘の末、何とか教室まで運搬するのに成功。ライブ開催が不可能になる、という最悪の事態を何とか回避することができた。

また、アンプを所持している部員がいることが判明。

別働隊がその部員宅からアンプを借りてきた。電子ピアノはアンプと接続したほうが自然な発音になることがわかったため、アンプを使うことにした。

しかし、その日に行った私の音量調整は再調整を余儀なくされた。

私はいくつかの不安を抱えたまま、21日の本番当日をむかえた。直前の簡易リハーサル。やっと音量などが決まった。しかし、うまく演奏できるか、という不安はなお残っていた。


そして迎えた本番、まずまずの客入り。

「Smack Out」の演奏でライブは始まった。自分の出番である「summer」は5番であった。

着替えて教室横で待機。曲の最終確認を行う。会長に励まされ、いざステージへ。落ち着いて電子ピアノの電源を入れ、電子ピアノ本体の音量、音響スイッチを調節し、いよいよ演奏開始。だが・・・


「音が鳴らない!?」異常に気付き、演奏を止めた。

何が起こったのか分からず沈黙。司会がすかさず、「暫くおまちください」とアナウンスしてくれた。

後で分かったことなのだが、アンプの電源がオフになっていただけらしい。

何人かが電子ピアノの回りに集結してくれ、問題を解決してくれた。その事にはほとんど動じなかった。

しかし緊張のせいか、それとも寒さで手が冷えていたせいか、その日の演奏は満足のいくものではなかった。

続く「宿命」においても、絶対にはずしたくない部分で、打鍵が曖昧になってしまった。23日へ向けていくつかの課題と目標が生まれた。

「新撰組!」では上手くもないのに歌い手として参加させてもらった。気持ちよく歌うことが出来た。「隊士」たちにはとても感謝している。


最終曲のメドレー、今回はアフロにサングラスという格好で参加した。

でも恥ずかしさなど微塵もなかった。一人のエキストラとして、目いっぱいはじけてやろう、そんな意気込みさえあった。

そして、「That’s the way」で思いっきり観客を指差した。自分の演奏も、残りの曲の振りも、思いっきりノッてしまっていた。

3年前の私なら全く考えられないことである。  こうしてライブ1日目が終了。全員でアンケートを回し読んだりして、2日目に向けて改善点を探った。


翌日22日、再び朝から晩までリハーサル。

また一日中仲間たちの演奏する曲を聴きながら、ビラやプログラムの印刷など最終の準備に参加した。

言いようのない充実感がそこにはあった。同時に、これが自分にとっての最後のライブ準備になってしまうのだという、一抹の寂しさがあった。

自分の曲においては、やはり音量と音質の調整に苦心した。音量はエレクトーンとのバランス上、ある程度上げなければならないが、そうすると低音あるいは高音域での音質が落ちてしまう。

アンプを調整してもらい、何とか夜までに調整をおえることが出来た。


そして運命の23日。この日は開場直後から受付担当であった。1日目にも増して、お客さんの数は増え、立ち見も出るほどの盛況ぶりだった。改めてKUESの力を感じた時であった。そして、いよいよ「宿命」の出番が回ってきた。その時は緊張というより、ただ弾ききることを考えていた。  曲が始まり、自分のパートをなんとか弾いていく。その中で、具体的にどう言っていいのか分からないが、自己陶酔とでも言えばいいのだろうか、だんだん自分が曲の中に入っていき、曲と一体となっていくのが感じられた。こんなことはピアノを17年間弾き続けてきてもそうあることではなかった。それが、このKUESの最後の舞台で出来たのだ。それはまさに「宿命」を感じ、弾いていたと言ってよいだろう。大げさに聞こえるかもしれないが、本当である。


「summer」においても同じことができた。曲が終わりに近づくと、ああ、終わってしまうんだなあ、という気持ちが出てきたが、それを振り払うかのように、最後まで「無心」で弾ききった。弾ききったあとには、一種の爽快感を感じることが出来た。


他のメンバーの曲は二日間を通して、一部しか聞くことが出来なかったが、それぞれが非常に生き生きしていた。今回のライブ、完成度が危ぶまれた曲もいくつかあったようだが、まったくそれを感じさせない見事さであった。 プログラムの終盤、感極まって涙するメンバーもいた。このメンバーでのライブはこれでラスト。その思いがあってだろう。私もライブが終了するまで必死に泣くまいとしていた。


そして、本当に最後となるメドレー、1日目よりさらにはじけてしまった。自分の全てのエネルギーを注ぎ込むかのように踊った。踊っているうちに何箇所かアドリブも入れてしまった。とにかく楽しんだ…


こうして「夢」のライブは終了した。私のKUESでの演奏は全て終わったのである。結局最後まで立ち見が出ていた。教室の外に花道をつくり、お客さんの一人一人に、ありがとう、と言葉をかけた。


空になった教室にメンバーが入り、自分の思いを述べた。続いて引退セレモニーが行われ、色紙と花が卒業生に贈られた。私も含め、みんな涙していた。


思えば、私がこのサークルに入ったのは、三年前偶然に大学の教室でビラを拾ったからである。もしあの日、あの時、あの場所を訪れなかったら、私の大学生活はもっと平凡で、つまらないものになっていたであろう。そう思わせるほど、KUESに入って私は変化し、世界が広がり、そこで多くの大切なものを得て、成長させてもらったのである。それは、かけがえのない素晴らしい仲間たちがいたから出来たに他ならない。

最初はどうすればよいのかわけもわからず始まったサークル、それが回を重ねるごとに発展し、仲間も増え、役割分担も行われ、ライブにおいては、看板を製作するもの、教室を装飾する者、プログラムを組む者、リハーサルスケジュールを組む者、フロッピーのデーターを保存する者、広報に走り回る者…などに分かれ、それぞれが生き生きと作業するようになっていた。先のエレクトーン運搬をはじめ、様々な場面でみんなが集結した時の大きな力を感じることができた。一緒にライブを作り上げたすべての大切な仲間たちに感謝している。


打ち上げは、みんなおかしなテンションだった。それはアルコールによるものというより、みんなで壮大な「宇宙」を形成した充足感から出た、アドレナリンによるものだろう。


教室に戻り、夜通しの演奏会が行われた。私も2曲くらい弾いたが、あとはほとんど教室でボーっとしていたと思う。「夢」のあとの雰囲気を味わっていた。いろいろな思いが交錯していた。数え切れないほどの楽しい思い出が目に浮かんだ。お客さんのアンケートを読むと、メンバーの家族・友人以外に、通りがかりで来てくれた人、ビラを見て来てくれた人が多数いた。中には、これまで何回も足を運んでくれている人もいた。改めてKUESが多くの人に愛されていることを実感した。


翌朝、外に出ると、澄み切った青空、そこに眩いばかりの光が差していた。私にはそれが、未来へと続く希望の光に見えた。また涙が出そうになった。


準備を含め4日あまり、非常に充実していた。教室が普段の姿に戻ったとき、そこにあったのは寂しさよりも満足感であった。私のKUES現役生活の3年3ヶ月余りの日々は長いようで短かった。しかしKUESはこれからも続いていく。KUESの歴史はまだまだ始まったばかりなのだから。


最後に心の底からこう言いたい。


   ありがとう KUES  さよなら KUES  私の愛する KUESよ 永遠なれ